(狸穴 夢物語)
2尾目のうなぎ
・・・橋がある。
橋の真下に小さな堰堤があって、そこから下流は水を集めて左岸寄りを走る荒瀬となっている。滑落しているような瀬は一旦、鑑淵の頭で緩やかになるが、そのまま淵の切り立った岩盤に吸い寄せられるように流れ入っている。右岸に切り立つ岩盤の鑑淵は、川の水を直角に折り曲げ、大原の地に向かって注ぎ出している筈だが、その先は見えない。
小さな堰堤の上には、川の中央に三角テトラが二つある。テトラのすぐ上流に頭だけ出している氷山のような石があり、河床深く埋もれて不動の石になっている。僅かに出ている石には野鮎が縄張りを作って遊ぶ様が、橋の上から見える。
上流は、砂ぶちがあって左岸寄りに敷きテトラ15基が砂に埋もれているのが橋から見下ろせる。その上流は大石が点在して、その岩に急瀬から落ちてくる水流が多様な波模様を作っている。急瀬の上流は左に折れ曲がってその先は見えない。
地図上で見ると、丁度、この橋の地区は、上流から流れてくる川水が鋭角で右に折れそしてまた鋭角に左に折れ下がるような稲妻型になっている。稲妻型に折れている僅かな折れの中心部分に橋が掛かっていて、しかもその中央に掛かるこの橋からは、長く走る稲妻の上下流側、つまり、太平洋に注ぐ道程と上流山々から流れ落ちる水の群れが藁科となる川道を知ることは出来ないが、藁科川の中間に位置していることは確かである。更に上流大間川に落ちる福養の滝から名づけられた福養橋が、この橋の名である。
橋を国道362号線が渡り、国道は駆け上がるようなうねうねした山道になり、やがて稜線に沿って走り、亦うねうねとした山道を下り、大井川を超えると同じような山道の繰り返しで遠州気田川沿いに走り、浜松に辿り着く。東海道の本道に比べ、裏街道になるこの道は今でこそ舗装された路になっているが、当時には石ころと沢沿いを登る険しい細い道であったに違いない。
裏街道を歩まなければならない事情になった人々は、その悲しみに慣れた。それでも生きていく僅かな望みをこの道に見出したのであろうか。この道から逸れて、それでも平坦な地には集落があり、同名字の一族が住み暮らし、過去に別れを惜しんだ。季節の訪れを知らせる草花や小鳥たちに心を安らぎ、やがて訪れるそのものの季節には、汗水にして働く充足の時間が持たれている。日々の疲れは、夜に煌めく星や月灯かりで癒されたことだろうか。
それでも、人世には悲しみや労苦が付きまとっているのだと、キユは知っている。逸失する生を、僅かに失わずに保っているのは、生命の器官であろう故か。
人はそれぞれのサークルで暮らしているに過ぎない。神の意思は定まっているのであり、それゆえ真に自由なる魂はこの世に存在しない。解放された喜びは幻影の中でしかあり得ぬものなのか。キユは、その幻影の最中に沸々と生をたぎらせる事がある。人間族から離脱し、狸族としての本姿に戻った時であった。