夏になると小さな宿を開け、鮎漁を楽しむ常連釣り師達の話に耳を傾け、時に相槌を打つだけの無口な九平次が、酒を呑むと喋り始める事もあって・・・
「先生、4本だけにしなよ・・・」
今では花舞先生の師匠になった杉錦彦一が
「呑みすぎ・・・」と、
叱るのを、
「大漁祝い・・・」言いつつ、ビールをもう1本差出し太九平次が・・
「花丸・・・・・」と、言うのを受けて、
「そうそう、花丸、はなまる・・・」機嫌よろしく花舞は、飲み干し空いたコップに並々と注いだものだ。これには、杉錦彦一も苦笑いした。
この日、花舞芳郎が小島・倒れ杉の瀬・で十数尾の野鮎を掛け、喜色の顔で帰りビールを立て続けに呑んだ。
九平次が昨夜、彦一と伴に岡部の朝比奈川で取った川蝦を揚げ物にし軽く塩を振ったのを八寸の鉢に盛り付け、焼いた鮎を揚げてから甘酢に漬け1尺の椿紋角皿に盛ったのをそれぞれに出すと、
「おお・・・」と、同時に声を出した二人は朱色になった川蝦の素揚げに目を奪われたものである。
「旨い・・・」ゆっくりと噛みしめるように食べた花舞芳郎は・・
「子供の頃食べた味と一緒だ・・・」と言い、更に一口鮎を噛みしめた。
なんでも、大人になってから「ふっ」と子供の頃食べた鮎の味を思い出し、全国の鮎の名産地を訪ね歩いたそうな・・末に、九平次の所に来た・・・
人はそれぞれに美味しさの記憶を持っている。本当に美味しいのは記憶と合ったものかも知れない。お袋の作った煮っ転がし、甘露煮、・・・・子供の頃自分で捕った鮎を炭火で焼いて食べた味かもしれない・・
「料理人の舌はあてにならぬものだ・・・」と九平次は思う時がある。
素材良く、あしらいを綺麗に施し見た目良くても・・・記憶に残らないものがある。
「人の生き様・・・・」そのものである。
蜩が何処となく鳴き始めた。杉林か椎の森か、雑木林からか・・・
九平次は「富蔵」に変え、口にして・・
「鮎が釣れる事が分かった・・・」と言う花舞芳郎に、目を細めて答えた。
「俺より釣れたもんな・・・」
何より嬉しそうに彦一が言うのへ・・
「明日から、師匠と言わなきゃ・・」にやりと、九平次が言った。
つづく
九平次の釣りには独特な技があり一見したところで人には分からず・・・・
「鮎に聴くんだよ・・・彦さん・」、と・・・
小島の釣り場から帰ってきた杉錦彦一が、野鮎を仕分けしているその脇で・・・
彦一の掛けてきた野鮎を「じっ」と見て言うと、
「分かんねえ・・」彦一はあっさりと言ったものだ。
それで、・・・
炭焼き沢の右岸に立った九平次は、左岸にいたときと釣り方を変え石に付く野鮎を一つ一つ掛け始めた。左岸では流れの筋を狙っていたが、右岸に渡り釣り方を変えた。
岩盤の瀬の上流に残土淵があって、大きく曲がるぶつかりの岩に雑木が葉を茂らしている。
と、・・・
一本の細枝が僅かに揺れ、葉の中から「やませみ」が出で九平次の頭上を掠め下方に飛び去っていく。
タモの中に野鮎が入ると同時であった・・・
「ふーっ・・」
飛び去った「やませみ」の跡を目で追いながら煙草に火を点けた九平次は、煙とため息を同時に吐き出した。
川の水が少しづつ減り始めると、野鮎は用心深くなる。その頃になると、食む苔が十分に有り、肥えて背に脂も乗ってきて美味となる・・・そして・・・
うなぎ、藻屑蟹等が出てくる・・・・鷺やいたちもいる・・・
そんな訳で、野鮎の警戒心と過敏な動きは九平次のおとりをやすやすとは受け入れないようである。
今日掛けた鮎を明日、横浜の鈴木社長がもらいに来る約束をしている。
彦さんの掛けた分と合せて60余の野鮎である。
「苦労したよ・・急に言うもの・・」
「明日は、川蝦取りだよ・」
「えっ、・・・・・・・・・」
「彦さん、仕分けしょうか・・」
「・・・・・・・・・・・・」
その夜、・・・
九平次は、酒と醤油を同量にし僅かばかりの砂糖を入れて、クツクツと煮込んだ「鮎の煮浸し」が骨までやわらかになったのを肴にして、岡部の銘酒「富蔵」を・・
・・・「ツッー」・・と腹に入れた。
静岡県岡部町にある初亀酒造には、「富蔵」「瓢月」「亀」と銘酒が揃っていていずれも全国的に評判が良い。九平次は「富蔵」が気に入って、旨いものを食う時に必ず引っ張り出し・・一口、二口呑んで三口目から肴と伴に味わうのである。
日頃、あまり酒も呑まない男だが・・
「美味しい・・」と、鮎と蕎麦を食う時に限ってこの酒は離さない・・・
次の日の夜・・
九平次と杉錦彦一は、岡部町朝比奈川の殿橋を過ぎた辺りに車を止め、川蝦を捕りに行った。
つづく
九平次
九平次の想いは、ただ・・
「釣りたい・・・」
その、一心である。
乱暴な筆を振りまいたように、赤い彼岸花が咲く黄金の稲波の道を歩く時も・・夏ゼミが耳鳴りのように張り付いてくる日も・・一時も心から離れぬ想いであった。
しかし、・・・・・
「分からん・・・」 九平次の口癖は、訳も無く・・ただ「分からん・・・」
と、言うのみである。
「この闇から出られんかも・・・・・知れん、・・」
13年前。
肌寒い長梅雨で夏が来ないかと思われた、或る日。
磯田と釣り仲間3人が罪の無い自慢話に、薄く霧雨に煙る山を見ながら九平次が・・
「磯さん、その大井川の・・・・」と、磯田の話の中で気になった、その話を促すと・・磯田は、欠けた前歯を隠さず自分の事のように喋り始めた。・・その話・・・・・
アッキィさんと言う伊久美川在の人が、不思議な釣りをしている。ゆらゆらと竿が揺れていて束釣りする・・・大井川近辺では有名な話で、
2倍3倍と鮎を掛ける、大師匠がいて弟子は3人・・アッキィさんはそのうちの1人・・
切れ切れに話すうちわけは・・・
自分達はその釣りから(超シャックリ釣り)を編み出したのだ、・・・
と、おまけまで付いたのだ。
九平次が妙に気になるその話が俄かに現実となったのは、それから3年後の事であったが・・・
九十九折になった山道を上っていくと炭焼き沢がある。急峻な沢はわずかばかりの清水が垂れ落ち、岩肌に葉タバコ草の大きな葉っぱが一枚、沢から吹き降ろす涼風にゆらりとしている。
道路脇に細い踏み分け道があり、下りていくと上臈淵に入り込む短い瀬に出る。岩盤をつたい流れ落ちてくる水は急いでい、岩盤底のトロ瀬で勢いは止る。そしてトロ場で広がったまま短い平瀬になる。
九平次は、その瀬頭から数歩下がった場所で釣り支度を始めた。おとりを1尾流し船に入れ、場所につける。竿栓を抜き仕掛け巻きから道糸を穂先につける、数分とはかからなかった・・が、暫らくの間竿を担いだまま水面を見ている。
九平次にとって儀式と同じだった。鮎は必ず姿を見せる・・・見えたところが掛かる位置なのだ・・・
鮎の出方によっては数も分かる・・・・九平次はじっと水の中を見ていた。
雪虫、泣き虫
「雪虫・・トドネオオワタムシ」
雪虫が舞う。
一人っきりになった年の冬、漁期も終わり夏の疲れだけでなく、心の底に溜まった我が身の滓のようなものに気力も失せていた。そんな或る日・・・。
雪虫が飛んでいた。自分のこれからはどう為ると言うのだろうか?冬の日差しは弱々しく枯れたススキを照らして風さえ無かった。硝子を押し当てたように動かない風景の内側から、ふわふわと白い小さなモノが舞うように、・・舞うように滲み出た・・今の私には雪虫ほどの存在さえも無い。存在の軽さ・・
雪虫は春に寄生していた木に戻る、そうな・・ 消え入りそうな声で、・・
「嗚呼、・・・・・・」
往くも闇、戻るもまた闇。 そして毎年、時は来る。繰り返されるマントラの如く・・
谷津の地蔵前は以前から鮎の溜まりやすい場所で、梅雨が明けると新間川出会いまでの区間は数、型が揃う特異区である。冬枯れとなった藁科川は澄んでい、氷を張り詰めたような水景色の中においかわの群れが時折姿を見せ、「あゆかけ」は鮎とともに降りてゆく。
蕎麦処「川」の駐車場の奥に車を止め、枯れた「とびつき」(オオオナモミ)の草原(くさはら)を歩いていくと重なり合った石ころの河原となり命の陰りも無い。と、何処から流れてきたものか痩せ細った鶏頭の花が赤く風に揺れ石の隙間にたっている。そして、右岸がえぐれ、中間にわずかばかりの瀬となった長いトロ瀬の川岸にあたる。
今では水位も落ちて川底もはっきりと浮かび上がり、魚影は見えず跳ねる鮎にこそ気配を感じ・・・まったく、・・静かな・・
氷より透きとおった鮎の群れがいる。底から浮き上がっている、ため、影は見えない。幾百、幾千もの鮎がいる・・人は気づかない。水の中の命は、夏のざわめきもせせらぎの音も無く、偲ぶ声さえ聞かず・・陽は雲に覆われ灰色の空にぼんやり滲んでいる。雨か雪でも落ちてきそうな・・・野鮎は年毎に新世代で受け継ぐ純粋なるもの、今・・この時は重く、生まれてからの総ての水を飲み干すかのように溶け込んでいる。
義務であるかのように釣りをした・・生きるも死ぬも離れざりき・・・
ゴッホとテオのように・・・
・・嗚呼、ヨハンナ・・「寝ているときにこそ楽しい夢を見るけれど起きているとき・人生は義務でしかなかった」・・
野鮎は義務を終えていく、・・
帰り際、滲み出た雪虫。僅かに涙がこぼれた。
月の物語
ぬぐったような紺空があった。そして、群雲に・・・・と、その夜。
その夜、8月28日、八時過ぎの夜の事。雲間に浮かんだ月があった。
左弦下方は金色に輝き、対を成す右弦上方に闇が入り、薄暗い朱が入った月であった。
その日・・
炭焼き沢の岩盤瀬から上流に歩くと、残土渕から神社、寺前を過ぎ右に曲がると瀬がありなおも上がる、と・・
位置的には北西を向くわけだが、・・
山が迫り河畔林が空を覆ってうす暗き砂渕が続くその向こうに、急瀬が見えていた。
瀬肩は右岸に竹薮があって、岩盤底が所にあるトロ瀬のシワの中に鮎が見え隠れしていたものだ。
竿を一振り、二振り。やがて夢中になり陽が頭上を過ぐ。
澄んだ風が下方から流れ来て我を冷やし、さわさわと葉陰が目を我に返す。風の行方に目を奪われるまま、砂渕の向こう・・・・やがて、瞠目したものだ。
急瀬が黄金に耀いた・・・。
スペイン、処はサンチャゴ。聖地は三千キロの道の果てにある。聖地への道程は荒地、荒野、そして極寒、灼熱の・・態をなしているそうな。
ロォマ~聖地サンチャゴへの道は天の川の真下にあって、北斗の星群を右にし果てしなき天の川の道先に教会がぽつぽつとまた、果てしない距離で建っている。
辿り着く事すら分からない聖地への道、その教会で人は癒される。
やくざな聖地サンチャゴへと向かう人は、道程三千キロそのものこそが聖地だと気がつく。
今、その同じ黄金が頭上にあり、やがて闇に入る・・。
神戸先生と我はじっと目を天にあずけたまま、思考は別なれど同じ思いに感じ入ったものだ。